明治通りを越えた靖国通りの右手にあります「成覚寺」さんです。

新宿 成覚寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新宿の遊女が死ぬとさらし木綿や米俵に包まれて、この寺に放りこまれた「投げ込み寺」で知られています。

子供合埋碑

境内を入り、左手奥に「子供合埋碑」があります。(新宿区指定有形文化財歴史資料)

これは、江戸時代の内藤新宿にいた飯盛女(めしもりおんな・子供と呼ばれていた)達を弔うために、万延元年(1860)に旅籠屋中で造立したもので、惣墓と呼ばれた共葬墓地の一角に建てられた墓じるしです。

飯盛女の抱えは、実質上の人身売買で、抱えられるときの契約は年季奉公で年季中に死ぬと哀れにも投げ込むようにして葬られたそうです。(境内案内板より)

 

 

旭地蔵

子供合埋碑の向かって左手奥にあります「旭地蔵」です。(新宿区指定有形文化財歴史資料)

地蔵の台下には、宿場内で不慮の死を遂げた人達の18人戒名が記されています。そのうち七組の男女はなさぬ仲を悲しんで心中した遊女と客達であると思われています。

これらの人々を供養するため寛政12年七月に宿場中が合力し、今の新宿御苑北側を流れていた玉川上水に建立されました。別名「夜泣き地蔵」と呼ばれていたとも伝えられています。

明治12年(1879)に道路拡張のためここに移設されました。(境内案内版より)

 

恋川春町の墓

旭地蔵の隣に、江戸時代中期に活躍した浮世絵師・※1狂歌師・※2戯作者の恋川春町(こいかわはるまち)の墓があります。(新宿区指定史跡)

本名は、倉橋格(くらはしいたる)俗称を寿平といい、江戸小石川春日町に住んでいたところから恋川春町というペンネームをつけました。

自画自作の「金々先生栄華夢」でのちに※3黄表紙(きびょうし)といわれるジャンルを開拓し、一躍売れっ子作家となりました。

 

※1社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込んだで構成した短歌(和歌)のパロディ形式

※2近世後期、18世紀後半頃から江戸で興った読物の総称。

※3江戸時代中期の1775年以降流行した草双紙(くさぞうし・一種の絵本)のジャンルの一つ。

 

成覚寺

所在地  東京都新宿区新宿2-15-18

 

  ブログランキングに参加しております。
  関東地方のおいしいお店、便利な施設の情報は
                    「人気ブログランキング」へ